ヘルタースケルターに限らず、近年の邦画には漫画原作が多いですね。確かにハリウッドでもコミック原作の映画が目白押しですが、邦画と洋画の違いは、その原作の質にあると思います。ハリウッドのコミック原作映画はいわゆる「アメコミ」、つまりアメリカン・ヒーロー・コミックを原作とした、荒唐無稽な活劇が中心であるのに対し、日本の漫画原作はどちらかというと人間ドラマを主体とした「文学的作品」が中心になっているのです。
ある社会評論家に言わせると、我が国におけるマンガは元々、文学的・芸術的要素を多く含んでおり、特に近年は、以前であればシナリオライターや小説家になっていたであろう才能が数多くコミック界に流れており、必然的に日本のマンガ文化を底上げすることになっているというのです。「ジャパニメーション」や「マンガ」が海外で注目されているのも、そうした優れたストーリー性にあるわけです。ヘルタースケルターの原作も同様に、そのドラマ性と今日性において立派な芸術作品として成立していると言えるでしょう。
さて映画「ヘルタースケルター」のストーリーですが、これは基本的に原作を忠実に再現しつつも、映画作品としてのサイズの中に凝縮することによって、よりパワフルなものとなっているようです。主人公の「りりこ」というモデルが、その美貌を武器にトップアイドルへと登り詰めていく、壮絶な闘いのドラマがお話の軸ですが、実は彼女には誰にも言えない重大な秘密があったという…まあ、すでにネタバレはされているわけで、要するに彼女は過酷な「肉体改造」によって生み出された「究極の人工美女」だったのです。
この点だけを聞けば何やらスキャンダラスでセンセーショナルなお話に感じるでしょうが、さにあらず。ヘルタースケルターの「キモ」は、真の幸福を追求するあまり、多くのものを失っていく「りりこ」という女性の、ピュアであるがゆえの絶望と矛盾にあるわけです。キャラクター造形はとことん自己中心的であり、奔放であり、サディスティックでもあるわけですが、それもこれも「りりこ」自身の不幸な過去に対する「復讐」と捉えることも可能なのです。
こうして見ていくと、ヘルタースケルターという原作コミック作品は偉大な近代ロシア・フランス文学の系列に連なるものであるとも言えるわけで、個と社会を「欲望」というキーワードでリンクさせ、人間の幸福とは何かを深く思考させるという、ある意味「おそろしい作品」であると言えるのです。そうしたキャラクターを体現する主演女優は、圧倒的美貌と強烈な個性で絶大な支持を得ている彼女なわけですから、これはもう「見るべし」なのであります。