ヘルタースケルターの主人公は個人の欲望にとことん忠実であり、そうした欲望を成し遂げることが自身の幸福であると信じている女性です。これが他の活劇や恋愛ドラマであれば、たちまち悪役に据えられてしまうキャラクターでしょうし、実際この作品においても、主人公でありながらほとんど悪役、と言っていい強烈な個性を発揮しています。しかしお話が進むにつれて、読者は、あるいは観客は彼女に対し深いシンパシーを抱くようになるのです。
これはヘルタースケルターの原作が持つ力であり、主人公りりこのカリスマでもあろうと思われますが、同時に、彼女の攻撃性は実は彼女本人に向いており、彼女が幸福を求めれば求めるほど、より不幸へと突き進んでいくスパイラルにこそ、りりこの問題があるのでしょう。それはまさに現代社会がもたらす矛盾でもあり、だからこの作品に触れる人は彼女をいとおしいと思わずにいられないのではないでしょうか。
りりこが幸福へと向かうキーワードは「美」であったわけですが、これは「出世」であったり「権力」であったり「お金」であったり、形こそ違え、誰もが大なり小なり心の底に抱いている醜い部分でしょうし、そんなダークな部分を最大限にブローアップして噴出させてしまったのがヘルタースケルターの主人公・りりこなのです。これだけ強烈な「アンチヒロイン」でありながら、りりこが私たちの心をとらえて離さないのは、りりこの物語が私たち自身の物語でもあるからなのです。
思えばそうしたダークな部分への欲求は、1960年代から70年代にかけては、むしろ日本人の勤勉さを表す「美徳」として推奨されていたものだったはずですが、バブルの崩壊によって日本社会は打ちのめされ、立ち直ろうとするたびに何らかの要因で足元をすくわれるということを私たちは繰り返しています。個人の幸福の追求は、ヘルタースケルターのように歪んだ形でしか実現できない世の中になったかのようです。ヘルタースケルターはそうした意味でも、日本の現代の一端を鋭くついた物語なのです。
ヘルタースケルターの原作は、作者特有の流麗でスタイリッシュなペンタッチにより、クールでリアルな物語として迫ってきます。今回の実写映画化では、監督の特徴である原色を基調としたパワフルでポップな世界観が、主演女優の凄絶なまでの美貌とカリスマによって、見事なまでに「肉体」を獲得した、と言えるのでなないでしょうか。まだまだ気が早いかもしれませんが、今年の主演女優賞・監督賞・作品賞は本当に要注目です。