ヘルタースケルターの主人公りりこのモチベーションの方向は「美しくなりたい」ということでした。これは人として生まれたなら男女を問わず誰もが願ういくつかのことがらの代表的な一つに挙げられるでしょう。ただ、そこで何らかのアクションを、それも決定的かつ徹底的なアクションを選択する人というのは、そう多くいるわけではないはずです。この物語の主人公はそこが一般人と違うのです。
美を手に入れたりりこが次に願ったのは「幸せになりたい」ということでした。これもまた、我々一般人があたりまえに求めるような「普通の幸せ」ではなく「トップへのし上がる」という「野望」です。これこそが「選ばれた少数」だけが挑戦することのできる夢なわけで、それが正当派のヒーローであれダークヒーローであれ、私たちはそこにある種の「ロマン」を見出すのです。そして、そこに「ヘルタースケルター」という物語の魅力が存在するのです。
おとぎばなしの世界では、主人公が功成り名遂げて幸せになって、めでたしめでたしで終わります。もう少し大人向けの物語ではさらに続きがあって、主人公は様々な問題に直面し、それを乗り越え、次の幸せに向かって歩き続けるというパターンが代表的です。一方、功成り名遂げた主人公を取り巻く状況が変化し、主人公が挫折するというパターンもあります。ヘルタースケルターはさて、どちらに入るのでしょうか。いずれにしても、そこには見る者をわくわくさせてくれるドラマがあります。
ヘルタースケルターはなぜ今、実写化されなければならなかったのか。これを解くカギは現代の社会にあります。新聞やテレビのニュースを見ていると、なんだか気づまりになってしまいかねない今の日本。政治も経済も国際情勢も、あらゆるものが個人個人へのプレッシャーとなって降りかかってくる。そんな息苦しさを感じているのが今の日本人と日本社会なのではないでしょうか。
社会が閉塞した状況にある時や、逆に目的を見失って呆然と弛緩してしまった状況にあるとき、フィクションの世界では必ずと言ってよいほど「ピカレスクロマン」という系列の作品が注目を集めるようになります。いわゆる「悪漢小説」に大衆が喝采を送る。逆説的なヒーローが、人々の溜飲を下げてくれる。ヘルタースケルターの「りりこ」のように己の欲望に忠実に、運命に対して闘いを挑む主人公の物語は、こんな今だからこそ求められているのかもしれません。